10) 手打ち盃暴力団社会では、お互いに決定的な争いは避け、自らのことは自らの手で解決を図るという考え方があります。こうした考え方を「闘争自決主義」と呼んでいます。本講座の「縄張り」の項で説明しましたように、暴力団はその組織の経済基盤である縄張りの維持・拡大をめぐって、他組織との間に絶えず潜在的な対立関係がありますが、いったん対立抗争が発生し、双方ともに死力を尽して徹底的に闘うということになりますと、お互いに損害が大きくなり、また警察の捜査によって、組員が多数検挙されることにもつながり、場合によっては共倒れになるおそれがあるわけです。そこで彼らは、決定的な闘争にならないように、一般的には、双方の「やった」「やり返した」という抗争のバランスがとれた時期を見図らって、第三者である仲裁人が中に入り、「手打ち」と称する暴力団社会独特の儀式、「手打ち盃」を行うことによって、対立抗争を水に流し、双方の組織の存続と暴力団社会の共存共栄を図っています。
そのため、和解の話し合いができなくなってしまうようなことにならないように、対立抗争において、相手方の親分を殺ってはならないという不文律があるともいわれていますが、最近の状況を見ておりますと、必ずしもそうとは言えないように思われます。
また、こうした和解が成立した場合は、殺傷した相手方に対する見舞金や仲裁人等に対する謝礼など莫大な金が必要となり、組織にとっては大変な負担になるわけですが、それでも和解が優先されるわけです。
こうした闘争自決主義は、組織対組織の対立抗争に限らず、個人間の喧嘩抗争においてもこの考え方で処理するわけです。さて、暴力団社会独特の和解方法である「手打ち盃」には、その仕方に「両手打」「片手打」「仲直り」の三種がありますが、和解の効力には差はありません。
「両手打」の場合は、仲裁人が両手で拍手を打ち、「片手打」の場合は、片方の拇指を上にし、片方の人差指を下にして打ち合わせ、手を打った真似をするもの、「仲直り」はその何れもしないやり方です。
「片手打」は賭場の盆の上の紛争に限り行うしきたりです。これは、本来音響を発しては困る秘密裡に行う和解方法であったことに由来しているものです。また、縄張りをめぐる抗争の手打ちでは、「両手打」とするのがしきたりです。手打ち盃の席は、左右両側に和解当事者が並びます。的屋系の暴力団では最初は双方の顔が見えないように、中間に屏風をめぐらします。博徒系の暴力団ではこれをしない場合が多いようです。
上手には媒酌人、見届人、両側に双方の立会人、下手に仲裁人が座を占めます。
床の間には、「和合神」の書幅を掛け、背中合せの刀(又は交錯した白扇)、屏風で囲んだ中央に向鯛、三宝に2個の盃、塩を2個所に盛ります。
式は、屏風を中間にめぐらした時は、仲裁人の子分がこれを除いて両者が顔を合わせ、背中合せの刀を腹合せに直して水引きで縛り、次いで背中合せの向鯛を腹合せにし、盃を交互に交わして仲裁人が飲み干したのち、仲裁人が和解状を読みあげ、箸を2つに折り、お神酒を箸と鯛に注ぎ、手締めをしたのち、紛争を「水に流す」として鯛と箸を奉書に包んで川に流すのがしきたりです。