29) けん銃本講座の別項、「戦後の暴力団小史」の中でも記述していますが、戦後、昭和20年代から30年代にかけて、各地の暴力団は、利権争いや縄張り争いで、それこそ血で血を洗う対立抗争事件を頻発させ、市民生活にも多大な犠牲を強いてきました。そうした対立抗争事件の過程で、各々の暴力団は、彼らの社会で、「チャカ」とか「ハジキ」、「レンコン」などと呼んでいるけん銃による武装化の傾向を次第に強めて行きました。
当時、これら暴力団社会では、「けん銃1丁は組員10人に匹敵する威圧効果がある」とされ、組員の数よりもいかに多くのけん銃を隠匿所持しているかが、その暴力団の力関係にも大きな影響を与えてきました。
もともと、けん銃は人の殺傷を目的とした銃器でその威力は絶大であることや、携帯や隠匿が容易であること、けん銃の密輸によって比較的入手し易い状況にあったことなどから、暴力団の武装化の格好の武器となったものと認められます。こうした暴力団のけん銃による武装化の進展に対応し、捜査当局においては、「武器の摘発」を暴力団取締対策の一つの柱に据えて、強力なけん銃取締りに努め、毎年全国で1,000丁前後のけん銃を押収してきました。
しかし、その後昭和40年代、50年代を通じて暴力団の武装化は一層進み、今では「組員1人にけん銃1丁」という状況にあるといわれています。
しかも、昭和60年代になると、暴力団の重武装化が指摘されるようになり、暴力団の保有武器として、けん銃に加えて、より殺傷力の大きい自動小銃や手りゅう弾等の爆発物もみられるようになったといわれています。このように、けん銃による暴力団の武装化が着々と進展してきた背後には、税関や捜査当局の摘発の網の目を逃れて、けん銃の密輸が横行していることがあげられます。
とくに最近では、けん銃の密輸先も、従来の、米国、フィリピン、中国、タイなどに加えて、ロシア、南アフリカなど密輸ルートの多様化、密輸手段の巧妙化、国際的な物流の増大と出入国者の増加などによって、税関や捜査当局の水際摘発作戦も極めて困難となっているようです。
このような状況の下で、近年、けん銃が、これまでの暴力団という一つの裏社会からあふれ出し、一般社会、表社会でも隠匿不法物所持されている状況が窺われ、そうしたけん銃を使用した犯罪も顕在化してきています。
すなわち、かつては、けん銃発砲事件は、暴力団の対立抗争事件や暴力団内部の対立などに関連して、暴力団員やその関係者によって敢行される場合がほとんどであったものが、この頃では、暴力団員やその関係者以外の者によって、一般市民、なかでも、政治家、マスコミ関係者、企業経営者などに銃口が向けられるようになってきており、暴力団以外からのけん銃の押収量も増加してきています。これまで、我が国は世界に冠たる治安の良い国として評価を受けてきました。その一因として、我が国では、いわゆる銃規制が比較的うまく行われていることが挙げられてきました。
しかし、このままでは、良好な治安を誇った我が国も、やがては「銃社会」〜日常的に銃口に市民がさらされているような社会〜に移行してしまうことが懸念されます。
国においては、このような厳しい情勢を踏え、鉄砲刀剣類所持等取締法の一部を改正し、平成7年6月12日に施行されました。
この改正によって、けん銃等の発射を抑止するための発射罪の新設、それまで火薬類取締法で規制していたけん銃の実砲に関する規制の新設、けん銃等の密輸入に関する重罰化、けん銃等の不正な取引きに関与している者を特定し、組織に打撃を与えるのに有効な捜査手法とされている、いわゆる、クリーン・コントロールド・デリバリー(通関等の際にけん銃等を抜き取り、または別の物に差し替えて行なう監視付き移転をいう)の導入などが行われました。
しかしながら、我が国における銃規制を真に実効あらしめ、良好な治安を保持して行くためには、法令の改正もさることながら、市民1人ひとりのけん銃の不法所持を許さないという強い意識と銃規制に対する全面的な協力が不可欠であることを誰れしもが銘記する必要があります。